2008年11月19日水曜日

徳島県のこと 方言のこと 母のこと

僕の母親は、徳島県出身です。

徳島県といえば、阿波踊り、すだち、ちょっとマイナーですが半田そうめん、などを思い出される方が多いですが、僕にもまさにその通りの場所のような気がします。

最近、徳島県出身のミュージシャンが続けて有名になりました。チャットモンチーとアンジェラ・アキは徳島市出身です。僕のいとこの子どもたちと、チャット・モンチーは同年代です。
野球選手でいえば、昔は坂東英二(笑?)、今は、中日の川上憲伸投手がいます。

暖かくてよいところです。
街の中に、棕櫚の木の街路樹がある場所があります。

さだまさしの映画のタイトルにもなった眉山も市内にあり、ロープウェーで登ることが出来ますが、僕は一度も行ったことがありません。


徳島では、男性がやわらかい言葉遣いをします。女性は(母の一族は?)はっきりと物事を話します。
男性も女性も使う あいづちは、「ほうえ~」 (そうなんだー)で、それを聞くと、とてもほっとします。

僕が印象に残っている方言は、「~さんの家」と言うのを「~さんく」と言うことでした。そしてこれもうちの親族だけなのかもしれませんが、親しい人は「~さん」ではなくて、「~ちゃん」と呼ぶことが多いみたいで、おじさんたちも「じゅうちゃん」とか呼ばれててます。ちなみに「じゅうちゃん」の「じゅう」は、「重三郎」です。(笑)
それで、僕のおじさんは親戚の家に行くとき「じゅうちゃんくに行ってくるわ」とか、言ってました。
苗字にもちゃんをつけることもあるようでした。


母も親戚に電話するときは、「ほうえ~」「ほうえ~~」と何度も言っていたので、小さい頃は、それを横で聞いて弟や父と笑ってたことを思い出します。

秋田で暮らしていたからか、東北出身の父に合わせるためか、母は家では徳島弁をほとんど使わなかったのですが、時々、共通語だと思って徳島弁を使ってしまうこともありました。
一番印象的だったのは、あるとき家の模様替えを手伝っていたときに、「ちょっとこのテーブルかいて」と言われたことです。
「ん?」と思っていると母は、「あーそうだ、持って」と言いなおしてました。
「テーブルを持つ」は徳島では「テーブルをかく」というそうです。
そのあとも模様替えを手伝うたび「テーブルをかいて」と言っていたので、そのたびに僕は、テーブルを指で「ぽりぽり」と掻くまねをして笑ってました。

母は、秋田で「ごみをなげる」と表現するのを「あれおもしろいね」と言ってました。「ごみは捨てるだよね」って。
「秋田に来たとき初めて『ごみを投げる』って言うのを聞いて、ピッチャーがボールを投げる場面が浮かんでおかしかったー』と話してました。たしかに、当たり前に僕も使ってましたが、面白い方言ですね。方言だと思わないで使ってるんですね。

我が家は、父も母も秋田の人ではなく、父も方言で話さなかったので、みんな家では標準語を話してました。
もしかしたら、お互い方言で話していたら、僕と弟の言語体系が混乱すると思って、配慮してたのかもしれません。(笑)
それか、お互い方言で話したら通じないので、共通語が必要だったのかもしれないな、とこれは真面目に思います。

でもそのためか、僕は、学校の友達と秋田弁でしゃべるのを少し勉強していたような気がします。
そして僕は結局、父の実家の方言も、母の実家の方言も、秋田弁も身に着かず、どこのお国の人でもない人になってしまったような気がします。
言葉がきれいだね、と言われてほめられてうれしかった時期もありましたが、いまは、どこの国の人でもない、根無し草のような気持ちでいます。秋田弁ももうちょっとうまくしゃべろう、と思ったりしますが、なんかいんちきくさい秋田弁になってしまいます。
徳島で徳島弁を真似たら、母から、へんな徳島弁だとも言われました。

あーあ。

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